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将棋・棋界に対する誤解1 森内俊之プロとタイトル戦

ネット上でたまに、森内元名人が名人戦しか本気を出していないという、ひどい誤解があります。

それに関連して、テレビ番組の「林先生の痛快!生きざま大辞典」で分かりやすい説明がありました。

5番勝負で一日制の「王座戦」「棋王戦」「棋聖戦
7番勝負で二日制の「竜王戦」「名人戦」「王位戦」「王将戦

イメージ的に言うと、7番勝負で二日制がマラソンならば、5番勝負で一日制は中距離走ぐらい。
棋士によって、どっちが得意・不得意がある。
人間でも、頭の回転が速いタイプと、じっくり組み立てていくのが得意なタイプ。

ただし、タイトル戦の話ですね。

予選や決定トーナメントなどは、持ち時間はもっと少なくて、1日制ですから。

 

あとは、「勝負では、2回目のミスが致命傷になる」という森内さんの名言も紹介されていました。

 

ただ、コンピューター相手だと、1回目のミスが致命傷になることが多いのでやっかいです。 ソフトもミスはしますが、人間のような疲労が無く、震えることがないので、勝負手でミスを誘発できないのが難しいところです。

森下案と第4回電王戦へ向けて

(1)森下案 持ち時間編

以前、Puella αの伊藤氏のブログで、私は以下のコメントをしました。

「理想は貸し出し無し、2日制の持ち時間9時間か、1日制なら持ち時間2時間+切れたら一手10分にすれば、プロ棋士側も100%に近い実力が発揮できると思います。」

今回の森下プロの持ち時間3時間+切れたら一手15分の案に対し、私もほぼ同じ案を考えていたわけです。
ただし、継ぎ盤案に関しては、全く考えたことがなく、これに関しても全面的に賛成で、非常にいい案だと思っています。

森下九段「将棋は99手うまい手をやっても一手ミスがあるとすべてパーというゲーム」
http://news.mynavi.jp/articles/2014/04/13/denou3/002.html

私が「持ち時間2時間+切れたら一手10分」としたのは、1日制を考慮に入れてのことで、森下案の方が人間にとっては、より理想的だと思います。
仮に終局まで90手だと考えて、分かりやすいように、序盤・中盤・終盤、それぞれ30手だとします。
10時開始で、昼食休憩1時間、夕食休憩30分ですので、持ち時間3時間で、両者同時に切れたと仮定すると、17時半から秒読みになります。
そこでちょうど終盤に入ったと仮定し、一手15分で終盤30手ですから、450分、7時間半が追加され、終了予想時刻は25時となります。
100手の場合ですと、終盤40手で、600分、10時間が追加され、なんと終了予想時刻27時半になってしまいます。

もし私の案なら、持ち時間2時間で、休憩を合わせて、15時半です。
そこから一手10分で30手とすると、300分、5時間が追加され、終了予想時刻は20時半です。
100手の場合でも、終盤40手で、400分、6時間40分が追加され、終了予想時刻は21時40分です。

ですので、森下案を採用するのならば、持ち時間を4時間にして、2日制にするしかないと思います。
もし、1日制にするのなら、持ち時間を1時間にするしかないですね、切れてから一手15分ならば。
その場合でも、100手で終了予想時刻23時半で、150手とか200手になったら、恐ろしいことになってしまいます。

ですので、終了時刻の問題さえクリアすれば、森下案は非常に素晴らしい案であり、第4回電王戦を開催するのに充分な条件だと考えています。

ただ、第3回電王戦第3局の森下プロの敗局後に、明るく振る舞ったことに私は違和感を感じて、個人的はもっと悔しさを出してほしいと当初は思っていました。
ところが、Ponanzaの山本氏のブログを読んで、開発者視点で見れば、明るく振る舞ってくれた方がありがたいということで、なるほどと思いました。
あの様子が気遣いだったのか、もともとサバサバした性格だったのか、両方だったのかは分かりませんが、今回の森下案を聞いて、私の森下株は急激に上昇しましたw
プロが負けて悔しくないわけがないことは分かっていましたが、森下プロは現実をしっかりと直視した上で、非常に冷静に分析的な物の見方をされる方だと思いました。
だからこそ、負け惜しみと受け取られる危険性を恐れず、このような案を出したことを私は高く評価しますし、プロとしてこのようなプライドの固持の仕方もありで、潔く負けや自分の弱さを認めるのも悪くはないですが、将棋ソフトに対し、そのような合理的抵抗を示すのには、すごく共感を覚えました。


(2)森下案 継ぎ盤編

継ぎ盤案に関しては、そもそも現行のルールで禁止されていませんが、暗黙の了解で使われていないだけで、持ち時間の長い将棋であれば、むしろ積極的に使った方がいいと思います。
ただし、プロ棋士の場合、了承なしで使ってしまうと、非難を受ける可能性がありますので、ルールとして明示すべきです。
私は個人的な考えとして、人間同士の対局でもOKだと思っていますが、これに関しては異論が多く出そうな気がします。
電王戦限定での継ぎ盤使用に関しては、思ったよりも反対意見が少ないようですので、ファン視点からも問題ないと思われます。

あと、駒落ちに関しては、説明するまでもなく、絶対にないでしょうね、プロ側のプライドの問題として。
だから、平手で計算能力と記憶能力の差をどう埋めるかが、電王戦のルールやレギュレーション問題の中心になってくると思います。
そのためには、盤駒だけでなく、樹形図作成ソフトプログラマーの方に作ってもらい、PCを使用するというのも、将来的にはありだと思います。
あとは、メモを使うとか、見落としがないようにチェックリストを作るとか、これも現行のルールでも問題がないはずです。
もし、森下案でプロが5戦全勝ならばいいのですが、それでも負け越した場合の案もいずれ必要となります。

ただし、それらのルールでも本当に勝てるのかという心配はあります。
例えば、森下プロの▲8六銀の見落としは、その手自体を読んでなかったわけではなく、88手目から△8五桂▲8六銀△5九角▲8五銀△同飛▲5八金の6手先の局面を見えていなかったということになります。
プロは3手の候補手をつなげて読むらしいですから、6手先の局面数は3の6乗で729局面ということになります。
それだけでも頭の中で整理するのは大変なことですが、見落としというのは、読んでいない局面ですから、729局面以外の膨大な局面から、想定していない局面を探さなければいけないことになります。
仮に候補手が6手なら、6の6乗、4万6656局面で、そこから729局面を引くと、見落としが潜んでいる可能性のある局面が4万5927局面もあることになります。

しかも、それは読みの末端の局面であり、その途中の局面も合わせれば、もっと膨大ですし、当然その先の局面も結論が出ていなければ、さらに深く読んでいかなくてはならないことになります。
それを考えると、その見落としまでは、ポカをしなかったプロ棋士の能力は、ソフトに負けても、なお恐るべしと言わざるおえません。
そして、盤駒を使ったとしても、そのような膨大な局面を見落とし無く、正しい枝刈りをして、正着を指し続けることが出来るのかという疑問があるのです。
詰め将棋の場合は手順を示すことによって、詰みの存在証明が出来ますが、見落としが無いという証明は出来ないですから、そのような原理的な問題もあります。
(正確には、詰みの場合も不詰めの見落としの可能性はあるが、長手数の詰め将棋でなければ、あらゆる分岐を示すことによって、証明は可能という話です。)

ただし、森下プロの主張はあくまでも人間の疲労によるヒューマンエラー防止策としての継ぎ盤の使用ですから、ポカを完全に無くすのは難しいとしても、確率的問題として、その有効性には変わりありません。
それに将棋ソフトが強いといっても、人間から見ればミスをほとんどしないのであって、本当に最善手を指し続けているかどうかは、将棋の神様でない限り、決して分からないことです。
ですので、常に最善手を指すというよりも、序中盤のリードを保つことが勝敗を決めるポイントであり、勝ちに至る道筋が複数ある場合、悪手により、それ以外の道を選ぶことをいかに避けるかが重要となってきます。
ソフトはそれを避けるのが得意なため、実戦的に勝ちやすいのであり、決して完璧ではないのは、ソフトによって同じ局面でも候補手が違っていて、ソフトにも個性があるということからも明らかなことです。
ところが、序盤で人間の感覚からすれば充分で、なおかつ、その後に明確な悪手が無かったにも関わらず、中終盤で圧倒された第2回電王戦第5局三浦VSGPS将棋や、第3回電王戦第1局菅井VS習甦のような例もありますから、事前研究なしで果たして確実に勝てるのかどうかは疑問があります。

だから、その答えを出す方法はただ一つ、第4回電王戦を森下案で開催することなのですw


(3)第4回電王戦へ向けて

ここまで森下案の必要性を述べてきましたが、いかに人間の力を出しやすい条件であっても、それを活かせる実力があってこそであることは言うまでもないことです。
ですから、人選は非常に重要ですし、タイトルホルダーの出場を明言していない現状では、年々強くなっていってるソフトに対し、さらにひどい結果(5戦全敗)を招かないとは限りません。

谷川会長は「タイトルは将棋連盟のものではない」と述べていますが、要するにタイトルホルダーが電王戦で敗れてしまうと、タイトル戦の価値に関わってくるため、タイトル戦のスポンサーの出場許可が必要だという意味だと思います。
だったら許可を取るべきであって、A級棋士やA級経験者が敗れている現状では、相対的にタイトルの価値が下がることは避けられません。
(私は価値が下がるとは思っていませんが、タイトルホルダーがソフトに敗れると価値が下がると仮定するのなら、A級棋士が敗れても価値が下がることになるという論理です。)


そして、いつまでも幻想にしがみついているのではなく、タイトルホルダーはあくまでも人間最強であって、ソフトも含めて最強とは限らない現実を受け止める土壌を早く作るべきです。
もしタイトルホルダーが負けて、ファンが減るようでしたら、それは敗戦が原因なのではなく、将棋の真の魅力、その奥深さというものを伝える努力が足りないのであって、連盟はそこを反省すべきだと思います。

仮にタイトルホルダーが無理ならば、B1以上か、A級経験者の中から、森下案の持ち時間ならミスをしない自信がある棋士を選ぶべきです。
それらの棋士がもし敗れて、その後にタイトルホルダーが出場するのなら、今から2年後となり、さらにソフトは強くなっています。
果たして連盟は、その時になって、ファンが真に望む夢の対局を避けるつもりなのでしょうか?
決断が遅ければ遅いほど、状況は厳しくなり、互角の戦いは実現しづらくなります。
ファンが望むのは、人間が最大限の力を発揮できるルールでの力と力のぶつかり合いであり、内容が素晴らしく、かつそれを伝える分かりやすい解説が行われていれば、結果的に負けても、プロ棋士の評価が落ちることはないはずです。
仮に内容が悪くなっても、その経緯をしっかりと説明して、見る側を楽しませる工夫は出来るはずです。

ただし、力のぶつかり合いといっても、真っ向勝負とは限らず、弱点を突くのも、程度問題ではありますが、必要なことだと思います。
この問題に関しては、ソフトの制作者の方の努力により、年々減っていくと思います。
それは同時にソフトの弱点が減っていき、人間がソフトに勝ちづらくなる残酷な現実を意味していますが、それを受け入れない限り、棋界の未来は開かれないと考えています。

あとは、ソフトとの対局準備問題に関しても、準備で通常のプロの対局に支障を来たすと考えるような棋士は、結局は強くなれないと思います。
ソフトの研究にしろ、欠陥探しではなく、自分の棋力が向上するような研究の仕方をすればいいのであって、それが出来ていた参加棋士が実際にプロ棋戦でも好成績を挙げているのだと思います。
それに森下案ですと、ソフトの貸し出しは不要という森下プロの発言がありますので、一気に準備問題は解決します。
ですので、残るは棋戦のスポンサーの許可と、連盟の決断の問題となります。

あと対策として、ソフトが指した人間には見えずらい好手や新手筋など、プロ間でどんどん共有し体系化し、対策を考え、プロ全体の実力アップを図ることをしていけば、菅井説(10年後にはプロ棋士の方が強くなる)が現実のものになるかもしれません。
それは実際には難しいかもしれませんが、当然やって損はないことですから、人間の代表として考えられる抵抗はしてほしいのです。
さらに、豊島プロが考えたような対ソフトに共通する対策を考えれば、事前のソフトの貸し出しが無くとも、序盤で作戦勝ちできるように誘導できる可能性は充分あるはずです。
もし今後も貸し出しがありならば、やねうらお氏がブログで紹介した西尾戦略を実行すれば、より効率的なソフト対策が出来ますし、考えられることはすべてやった上で、弱点を突くかどうかを決めればいいと思います。
そういったことをしないで、最初から真っ向勝負の選択しかしないのは、現状のソフトの強さを考えると、賢い判断ではないといえます。
人間は、ソフトにはない人間の長所を最大限に活かすべきであり、あらゆる可能性を追究し、ソフトとの力の差を正しく理解した上で、最後は自分の理念で選ぶのが妥当ではないかと思うのです。

そして、それらの抵抗をしてこそ、逆に将棋ソフトの存在意義が増し、人類とコンピューターが共に神の一手へと近づく道を歩むことになり、真の共存共栄が実現すると考えるのです。
そのために、電王戦の継続は避けて通れないものなのです。

ヘボ将棋鬼のごとし

電王戦でのトッププロの敗北により、タイトル戦の意義が問われています。
しかし、アマ有段者レベルの腕があれば、プロの解説によるタイトル戦は非常に面白く、今後もその意義が失われることはないでしょう。
そして、人間だからこそ、解説を分かりやすく出来るのであり、棋界とソフトの住み分けは自然に為されると考えています。


そういう意味で、私は電王戦でのプロの敗北に関しては、比較的楽観派ですが、プロでも全く歯が立たない時代が来る前に、ハメ手でもいいので勝ってほしいと思っています。
もっともそれは、見る側の考え方によるものであり、不用意に価値観に関する議論をするつもりはありません。

あとは、最高峰の戦いでないと意味がないのなら、新人王戦や女流のタイトル戦の意義も問われることになります。
しかし、それらの棋戦やタイトル棋戦の予選なども、ネット中継でのコメント解説があれば、充分楽しめます。
つまり、将棋の面白さはその内容が本質であって、勝敗やレベルは面白さの一要素であっても、絶対ではないと考えています。

さて、以下のような動画を見付けましたが、ヘボ将棋でも見せ方によっては、楽しめるいい例です。
おかしな将棋内容が、コメントによる突っ込みによって、さらに盛り上っています。
また、後半には、ファミコン将棋ソフトとたいしてレベルが変わらない勘違いコメントもあって、そのカオス状態は、レベルが低いからこそのものですw

 

 
さらに、その上(下?)をいく動画です。
ここまでいくと、釣りではと疑いましたが、駒の読み方を間違っていたりして、マジで超初心者のようです。
逆にこういう将棋ばかりだと、つまらないでしょうけど、たまに見る分には非常に面白いです。
いろんな楽しみ方があるから面白いのであって、文明の発展と同時に新しい価値観が生まれ、時代がそれに対応し、歴史は推移していくのだと思います。
ただし、先の動画がつまらなかった人にとっては、こちらの動画もつまらないと思いますので、悪しからず。


ついでに、こんな動画を発見。
突っ込みどころ満載で、真面目に分析する気にはなれませんが、作品としては良く出来ていて、コメントの突っ込みと合わせて、面白い出来栄えですw
1~3はつまらないので、あえて4にしてます。
忙しい人は、時間がもったいないので、見ない方がいいですw

 

 

要するに、探索勝負では不公平だから、評価値勝負にすべきと、一行で解説できる動画内容ですw
ただ、人間の能力の高さは、盤面評価だけでなく、枝刈り能力、羽生さんの言う捨てる力がありますが、そこが全く考慮に入っていません。
それに、候補手だけ並べられても、指し手を決定するのは、読みの末端の局面での盤面評価なので、あの対局方法では全く無意味で、仮に10秒将棋で直観のみで選択したのなら、逆に人間は絶対に勝てませんw
それでしたら、森下プロの継ぎ盤案の方がいいと思いますが、これはこれで賛否両論ありそうです。
そもそも、候補手を挙げるのに、ソフトの評価関数が使われていますし、ソフトの探索も全幅とは限らないので、探索能力のみを純粋に抜き出せていないのも問題です。

ただし、今後電王戦を開催続けるのであれば、対局方法の問題は避けて通れないわけですが、非常にやっかいな問題ですので、ここでは詳しい考察はしないでおきます。

 

電王戦のよくある誤解

(よくある誤解1)プロ棋士は、CPUの研究が必要である。
第3回電王戦の統一ハードのCPUは、Intel Core i7-4960X Extreme Editionです。
もしIntelに転職したいプロ棋士がいれば、研究が必要かもしれませんね。

(よくある誤解2)ソフトには、いなば戦法が有効である。
稲庭(いなにわ)戦法なら有効かもしれませんが、稲葉戦法はまだ未発表です。
稲葉陽七段が、将来発表するかもしれません。

ちなみに、大庭美夏&大庭美樹女流は、おおばであって、おおにわではありません。


(よくある誤解3)プロキシは、ネットでの匿名性を高めるのに有効である。
プロキシサーバーは確かに匿名性を高めてくれますが、それを利用して、電王戦に敗れたプロ棋士を誹謗中傷するのはいけないことです。

(よくある誤解4)Ponanza開発者の山本氏は、電王である。
電王はソフトなのでPonanzaですが、開発者である山本氏は、もしかして仮面ライダー電王に変身できるのかもしれません。
おそらく将棋電王トーナメントの副賞は、仮面ライダーベルトだったのでしょう。(未確認情報)

(よくある誤解5)BonanzaとPonanzaは紛らわしい。
ボナンザとポナンザは紛らわしいですが、BonanzaとPonanzaが紛らわしいという方は、眼鏡かコンタクトレンズを着用することをお勧めします。

(よくある誤解6)電王戦でプロ棋士が負けたら、棋界存続の危機に陥る。
例えば、将棋ロボットが、寒いギャグを言ったり、カツラを取って受けを狙ったり、長いネクタイをしたりとか、そういう事態になってしまったら、コンピューター将棋は人間を超えたといえるでしょう。
電王手君の開発は、そのための第一歩ですが、人間を超えるのは、まだまだずっと先の話です。

(よくある誤解7)なぞり将棋は、つまらない。
なぞっちゃいけないのなら、定跡使えなくなっちゃうし、量子力学相対性理論も使えなくなってしまいます。
人類の歴史は、なぞりの歴史であり、人間の進歩は、なぞりによってもたらされます。
プロ棋士の全棋譜を完璧になぞることが出来れば、棋力が一気に上がりますし、教科書を全部なぞることができれば、一流大学合格も簡単なのです。
さあー、あなたも今日から、Let's な・ぞ・り!

(よくある誤解8)10年後は将棋ソフトを研究して、今よりもプロ棋士が強くなるが、ソフトの方は格段に強くなっているのでプロ棋士は勝てない。
果たして今から10年前に、現在のこの状況を予測できたでしょうか?
それを考えると、10年後は人間の想像力を超えた、さらなる変化がIT業界や人間社会に訪れることでしょう。
その頃には、脳研究が進み、人間の処理能力と記憶容量が大幅にアップすることが可能で、人間の脳をつないでクラスタ化することにより、プロ棋士は遥かに強くなっていることが予想されます。
未来の将棋ソフトファン「他人の脳をつなぐなんて、ずるい。一人で戦えよ!」
未来のプロ棋士ファン「何いってんだよ。GPS将棋2024は、53万台もつないでるくせに卑怯だ!」
そんな、ほのぼのとしたやり取りが、第13回電王戦では、行われているのかもしれませんね。

 

電王戦の理想的持ち時間

以下のブログ記事が面白い考察だと思いましたので、反論してみました。

スマフォの将棋ソフトの棋力の限界はどのぐらいなのか
http://d.hatena.ne.jp/yaneurao/20140330

スマホじゃなくて、スマフォとしているところが素敵ですねw
スマフォでの棋力に関しては分からないので、持ち時間の考察に対する反論です。

(反論1)人間とソフトの思考の違い
ソフトの思考のメインは、探索(読み)と評価値(盤面評価)ですが、プロ棋士の場合は、それらに加えて、

経験からくる直観(探索無しの瞬時の形勢判断や詰みの発見など)
勝ちやすい形の選択(形勢が良くても明確な勝ち手順が見つけにくい局面の回避)
不利な場合の勝負手の発見(人間心理を利用した局面の複雑化)

などがあると思います。

ですので、探索量のみに基づいて、人間の長期記憶の限界による棋力の伸びの限界を論ずるには無理があります。
実際、プロの発言から、何時間も長考する場合は、同じような読みを繰り返して、手の選択を悩んだり、もっといい手を探したり、見落としがないかをチェックしたりしています。
(ソースまでは覚えていませんが、プロでなくても、人間が長時間考える場合は、そうなるものです。)

つまり、持ち時間の増加による棋力の増大は、探索量によるものだけではないですし、それどころか人間はすでに終了した探索を何度も繰り返すというソフトならあり得ないことをします。
しかし、それはミスを防いだり、手の確認をしたりするのに必要であり、人間にとっては非常に重要な時間の使い方です。

言い換えれば、人間の棋力の増大は、量的観点だけでなく、質的観点も重要になります。

(反論2)人間は疲れる
プロ棋士は持ち時間を使って、常に思考しているわけではありません。
10分考えた場合と、20分考えた場合で、同じ探索量だったとしても、20分の方が読み抜け等のミスが生じにくいはずです。

(読み抜けた場合、その探索量は減りますが、その分、別の分岐を探索することになります。)
持ち時間が8時間とか9時間あれば、頭の休息にも使えますので、決して無駄にはなりません。

(反論3)人間は時間配分をする
プロ棋士は、重要な局面に時間を使います。
また苦しくなると、明確な答えが無い状態で、できるだけ差を広げられないように時間を使うことになります。
優勢の局面でも、局面が複雑で答えが見つからなければ、考慮時間を使うことになります。

ですので、電王戦での4~5時間程度の持ち時間では、序中盤に苦しくなったり、作戦勝ちしようとして、時間を使うと、どうしても終盤で時間が足りなくなります。
今回は事前貸し出し&修正不可なので、持ち時間は充分だと思いますが、仮にぶっつけ本番でのソフトの対局ですと、持ち時間4~5時間程度では、プロ棋士は終盤に時間を残すことを意識せざる終えないので、序中盤に充分に時間を使うことができません。
そこに時間を使ってしまえば、終盤に逆転を食らうので、人間が不利です。
だから、貸し出し無しやソフトの修正ありならば、2日制にすべきだと思っています。

そして、ソフトと比較して、同じペースで時間を使わない人間に対し、一手あたりの長期記憶の限界という観点から持ち時間を論じるには無理があります。
持ち時間が長ければ、それが無駄にならないように展開に応じて、配分をするのが人間の長所です。
つまり、特定局面において長考するのは、それだけの時間が必要なのであって、人間の探索の限界により、それが無駄になるわけではありません。

(反論4)将棋は一手が命取りになるゲームである
将棋が手の評価値の積み重ねで勝敗を決するゲームであれば、単純に思考時間に比例して強くなるでしょう。
しかし、一手の悪手が命取りになってしまうため、持ち時間が長くなるほど、一手の重要性が増し、逆転不可能な手を指してしまえば、それ以降は持ち時間がいくらあっても無意味になります。
そのような持ち時間の違いによるゲーム性の違いが考慮に入っていないと思います。

時間が短い場合は、確率の高い手を積み重ねれば勝率は上がるでしょう。
人間の方が悪手を指しやすいので、短い時間ではソフトになかなか勝てないですし、ソフトは最善手を指さなくても、悪手を避け、次善手を指しさえすれば、なかなか負けることはありません。

しかし、持ち時間が長くなり、人間のミスする可能性が低くなれば、ソフトの一手の緩手が敗着になりかねません。
つまり、ゲーム性の変化(一手の重要度が増す)により、持ち時間が長くなることによる人間の優位性が増すことになります。
今回の第3局が、いい例だと思います。

(反論5)序盤・中盤・終盤のアンバランス問題
ソフトは序盤が必ずしも弱いとは限らないですが、特定局面でガクンと弱くなるのが問題だと思います。
それは探索の深さの問題もありますが、探索を深くしても、現在のソフトの評価関数では、最善手を選べない局面もあると思います。

それに対し、人間は序盤・中盤・終盤、隙がありますが、ソフトの序盤ほどの隙はない。
そして、持ち時間に比例して、その隙は減りますが、ソフトの序盤は果たしてどうでしょうか。
ソフトが苦手としない局面ならば、持ち時間に比例して、棋力は上がることでしょう。
しかし、苦手な局面なら、いくら持ち時間が増えても、無意味になる可能性があります。

つまり、人間は序盤・中盤・終盤と比較的均等に強くなりますが、ソフトは同じように強くなるとは限らず、特に序盤は同じような曲線を描くのか、大いに疑問があります。
それを終盤でフォローすればいいかもしれませんが、その場合は先の反論4が関わってくることになります。

(反論6)棋士の個人差問題
森内竜王名人の場合、持ち時間が数時間程度の対局では、調子の悪い時に勝率5割程度に落ちることがあります。
ところが、タイトル戦で8時間や9時間あると、勝率7割以上の羽生先生にも勝ってしまいます。
持ち時間8~9時間で、並のプロ相手なら勝率8割以上あると予想されます。
それ以外の対局で勝率6割としたら、森内先生に関していえば、棋力増加のグラフは急激に増加しているはずです。

つまり、同じプロ棋士でも持ち時間増加による棋力の伸びは、かなり個人差があるということです。
マッハ田村先生なら、この増加がかなり減ることでしょうw
ですので、電王戦で、持ち時間に比例して、棋力が急激に増加する棋士を選ばないと、持ち時間が増えても人間の棋力はたいして変わらないという命題が成り立ってしまうので、連盟はもっと考えて選出してほしいものです。

反論は以上ですが、ならば、どう考察すればいいのか?
それに対する明確な答えを私は持っておりませんw
ですので、長い持ち時間で棋力を比較する上での目安にはなると思いますが、持ち時間5時間が理想ということに関しては、同意できないです。
長ければ長いほどいいと思いますし、タイトルホルダーならば、最低8時間は必要だという見解です。

第3回電王戦ソフト差し替え問題に対する考察

この記事は、やねうらお氏の以下の記事に対する考察です。

2014-03-21 棋力と指し手の性質とは何か?
http://d.hatena.ne.jp/yaneurao/20140321

詳しい経緯は説明するのが面倒なので、各自ググってください。

さて、記事の説明に分かりづらい部分があって、言葉足らずに思えたので、以下のように再構成した上で、新たな考察を加えてみました。

(B1)Bonanza6(Bonanza評価関数+Bonanza探索部+トッピング全部乗せ)
(B2)仮想BonanzaBonanza評価関数+Stockfish探索部+トッピング全部乗せ)

(Y1)やねうら王2010  (Bonanza評価関数?+Bonanza探索部+トッピング全部乗せ)
(Y2)やねうら王2013  (やね裏評価関数+Bonanza探索部改造+トッピング全部乗せ=魔改造=バグ持ち改造)
(Y3)やねうら王2013α1(やね裏評価関数+Stockfish探索部)2月2日版
(Y4)やねうら王2013α2(やね裏評価関数+Stockfish探索部+トッピング一部乗せ)3月1日版

やねうらさんの主張は、以下の式で表すことができます。
棋力(B2)>棋力(B1)
棋力(Y3)<棋力(Y1)

さらに、数学的に明確化するために、表記を簡略化してみます。
(B1)Bonanza6(BH+BT+TA)
(B2)仮想Bonanza(BH+ST+TA)

(Y2)やねうら王2013  (YH+BTK+TA)
(Y3)やねうら王2013α1(YH+ST)
(Y4)やねうら王2013α2(YH+ST+TZ)
(Y5)仮想やねうら王2013(YH+ST+TA)

TA:トッピング全部乗せ
TZ:トッピング暫定版(一部乗せ)

性能(ST)>性能(BT)から、
棋力(BH+ST+TA)>棋力(BH+BT+TA)が成り立ちます。
数学嫌いの人も、左右の項目の差異だけに着目してみてください。
STとBTが違うだけですよね。
棋力(B2)>棋力(B1)を、内部構造も含めて数学的に表記し直しただけです。

ここで、BT≒BTKとします。
性能(ST)>性能(BTK)から、
棋力(YH+ST+TA)>棋力(YH+BTK+TA)が成り立ちます。
これは、棋力(Y5)>棋力(Y2)に対応します。

しかし、やねうら王2013αは、Y5(仮想やねうら王2013)ではないというのが、やねうらお氏の主張の最重要点だと思います。
ところが、棋力(Y4)>棋力(Y2)だったというのが、今回の騒動の発端だったわけです。

では、なぜやねうらさんは、棋力(Y4)≒棋力(Y2)と判断してしまったのか?
それが、彼のブログ記事では、触れられていないように見えます。
だからといって、棋力向上を認識していたというのは早計な判断で、逆に棋力向上を認識していなかったというのも早計です。

現在のところ、触れられていない部分に関する彼の発言がないため、ここからは推測です。

やねうらお氏のブログ記事の「指し手の性質」の部分から、彼は、
指し手(Y4)≒指し手(Y2)
と判断していた。
そこから、棋力(Y4)≒棋力(Y2)と判断してしまったのではないか?

もしそうだとしたら、「やねうらお氏が棋力向上を認識していたのは間違いない」という命題は、否定されます。
ただし、この命題には様相論理と認識論理が関わっているので、少しややこしい事情があります。
それは、認識に関しては、否定も肯定もできないが、その認識に対し、必然とするのは否定されるということです。

そして、以下のように命題を分類してみました。

(1A)悪意があったのは間違いない。
(2A)棋力向上を認識していたのは間違いない。


(1B)悪意があった可能性が高い。
(2B)棋力向上を認識していた可能性が高い。


(1C)悪意があった可能性がある。なかった可能性もある。
(2C)棋力向上を認識していた可能性がある。なかった可能性もある。


(3) 棋力向上を認識できたはずだ。

(しかし、見通しが甘く、認識できていなかった。)

1Aと2Aは、やねうらお氏のブログ記事の内容に関わらず、証明不可能問題です。
ただし、相手のコンセンサスが得られれば、一応証明されたことにはなります。
(それでも、相手が嘘をついて、非を認める可能性はある。日本人によくあるパターンとして。)

問題は1Bと2Bですが、それを裏付ける証拠が増えれば、信憑性は増しますが、帰納法は常に反証可能性があり、いくら可能性が高いと思っても、1Aや2Aにはならないということに注意する必要があります。

そして、やねうらお氏の主張により、確実に言えることは、1Cと2Cになったわけです。
2つの可能性のどちらかはっきりしない場合は、推定無罪とすべきですし、論理学の語用論規則として、寛容の原則というものがあり、相手の主張が偽と言い切れない場合は、真と解釈してあげるのが原則となっています。

結局、責任問題として、着目すべき命題を考えた場合、3が残るわけです。
そして、やねうらさん自体、3の過失を認めて謝罪していますから、これ以上の責めるべきではないと思います。

ただし、謝罪したからといって、責任を果たしたことにはなりません。
なぜこのようになったかを明らかにして、二次的失敗を防止するために、説明責任を果たす必要はあります。

よって、私はやねうらお氏に対し、責めるつもりはないですが、まだ充分な責任を果たしていないと考えています。
もっとも、彼は自分がどう思われるかよりも、プログラマーとして局面がフリーズするバグが生じないことが最重要だったのかもしれません。
だからこそ、今回のような失敗が生じたわけで、だからこそ、彼は天才かつ異端児であり、だからこそ、社会はそれを許容する寛容さが求められているではないでしょうか?

確かに彼は、一時的原因を作りました。
しかし、関係者が二次的原因を作り、三次的原因を作り、次々と事態を大きくしていきました。
果たして、火を点けて、消そうとした者に対し、油を次から次へと注いだ者が、火を点けた者を責めることが出来るのでしょうか?
そんな滑稽さと無責任さを、今回の件では強く感じました。

ネットの発言で、「清濁併せ呑む」という言葉を見かけましたが、もし将棋連盟や関係者がそのような姿勢で接していれば、このようなことにはならなかったはずです。
もっとも、ドワンゴに関しては、清濁併せ呑んだ上でそれを商売に利用するという感じで、それはそれでプロフェッショナルだと思いますが、今回はさすがにやりすぎてしまったため、すべての責任をしょい込んで謝罪したのでしょう。
ただ、今回のことに対し、事前防止策や、チェック体制、生じてしまった時の対応策をどうすべきだったのかを充分に検討することなく、問題の本質が欠落した状態での形だけの謝罪では、再発防止に全くなっていないと思います。

だからこそ、私は第3回電王戦第2局が無事に終わった後でも、現状を危惧せずにはいられず、このような考察をしているのです。